jacksonフランス日誌

オランダ/フランスに留学。文化/言語/宗教/国際/など表現方法と思想と芸術と社会問題。慶應大/湘南ボーイ

春の雪/奔馬/暁の寺/天人五衰

2年前タイに行った時、バンコクの仏教建築の観光の予習として三島の最後の四部作を読んだ。そのとき以来三島が好きで、一人でw静岡の三島記念館などにバイクでいったりしたんだけど、もう一度読み返したいと思って留学前に読んでみようと思う。特にお気に入りはこの四冊。

 

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 多くの人の中には、三島がただの国粋主義者であり美を追求した作家だというイメージがあると思う。でも、自分が感じる三島の持つ要素は、日本人と性この2つに集約されると思う。

 まず、「日本」という感覚に関して三島は何か、ぼんやりという幻想というよりかは、その幻想を具現化するため手段として最終的にそこに固執するように到達したように思える。輪廻転生とか、国境も文化も性も超越した概念を意識していた彼にとって国家などどうでもように思える。当初自分も、なぜ三島がそこまで「日本」や「大義」にこだわり死んでいったのかはわからなかったし、なんとなく馬鹿げているなあとも感じた。しかし、彼が最後に到達したのはあくまでも自分が生まれ親しんだ、「日本」でああり、日本に固執することで、自分の存在を主張する意味合いがあった。

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 その主張は、彼が基本的に「ナルシズム」を備えた人間だった、ということに関連していると思う。学習院時代、軟弱で暗い少年だったことにコンプレックスがあり、またギリシャ旅行時代に完璧な肉体をもつ彫刻に触れたことも、見せる為の肉体にこだわった由縁だと思う。彼の持つ根源的な寂しさがパフォーマーとしての三島を形作って行った。

  天人五衰の内容をすこしみてみたい。天人五衰とは天人が死ぬ時に生じる5つの兆候をさす。

 衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる

 頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える

 身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す

 腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る

 不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる

 春の雪から天人五衰の4部作では、主人公の親しい者が死に、それが次の作品で他の人物に輪廻転生するという構成になっている。途中で、主人公は自分の親しい者が次の者に転生しているということに気づき(同じ位置のほくろから)、天人五衰で、同じ位置にほくろのある港の子供を探し彼を養子にした。しかし、最終的にその子供が青年になり(結局彼は転生していなかった)主人公自身を傷つけ始めていく。

 三島が意図したかどうかはわからないが、そのほくろの描写は限りなくエロティシズムを感じさせるし、ほくろを「探す」「見る」「見られる」という所に彼のナルティシズムの発露を感じた。また、そのナルシズムは同性愛に結びついている。彼は同性愛を題材とすることが多々あったが、同性愛は直接的に美と結びついているという考えを社会に賦与した。同性愛のもつ悲劇的な結末を彼は身をもって体現していたのではないか(彼にとってもちろん性愛は生殖以上の意味合いをもっている)。